2008.01.18 (Fri)
1月17日、その時
1月17日、その時1月17日は神戸大震災の日です。
震災から13年が過ぎました。
毎年1月17日には、TVで特集が組まれます。
普段、この日を意識しない私も、神戸大震災のことを耳にしたり目にすると、当時の記憶が鮮明に蘇ります。
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1月17日の早朝、まだ暗いうちから目が覚めました。
昨夜は、なかなか寝付けず、時が経つのをじっと待ち続けていました。
それでも、いつしかまどろんだようです。
窓の外からは、誰かが遠慮がちに聞く、ラジオの音がかすかに聞こえます。
朝向けの放送の内容に、一日の始まりを感じていました。
しばらくして、そのラジオから「関西方面で地震があった模様です。」と、一報がありました。
それっきりで通常放送に戻ったので、『地震速報かな?』などと、ぼんやりと考えていました。
ほどなくすると、どうもラジオの様子が変です。
地震の続報を伝えているようです。
ラジオの持ち主も事の重大さに気付いたようで、ボリュームを上げました。
「神戸を中心に大規模な地震が起こり、甚大な被害が発生しています。」と、今度はハッキリと聞き取れました。
同室のひとも既に目を覚ましてしたようです。
TVをつけたりして、一気に色めき立ちました。
13年前の1月17日、私は手術を控えていました。
被害の様子が少しずつ明らかになればなるほど、手術の成否を暗示しているようです。
暗澹たる思いになり、まんじりとも出来ませんでした・・・
発病は、年末の12月23日深夜でした。
腹部に激しい痛みを感じて、目が覚めました。
これまでに経験したことがない、激痛です。刺すような痛みと言いますが、このことでしょうか?
声も出せず、もがき苦しみました。
送胆管拡張症という診断でした。
出口が塞がっているため、送胆管が膨れあがり、爆発寸前の大変危険な状態でした。
奇形の一種で、本来なら小学校の低学年までには、症状が現れるそうです。
私のように、30歳過ぎまで、自覚症状が全くないままに、突然発病する事例はないと医師は首を傾げていました。
事前検査では、ガンの兆候はないが、発病が遅すぎるので最悪の可能性もあると聞かされました。
痛みを感じたのは、12月23日の一度きりでした。
その後は、規則正しい入院生活のおかげで、体の調子は絶好調です。
自分の体の中に、そんな爆弾を抱えているなんて、にわかには信じられず、他人事のように聞いていました。
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独立して、丸2年が経過するときに、発病し入院・手術です。
勤めていた工務店が社長の急死で解散し、なんの準備もないまま独立しました。
そして、1年目に200万円近い不渡り手形を掴みました。
半ば自棄になりましたが、幸いなことに仕事はどんどん舞い込んできます。
しかし、仕事と借金返済に追われるばかりで、クリエイティブな気持ちにはなれず、荒んだ毎日を過ごしていました。
食事は一日に一食流し込むだけ、空いた時間はパチンコに明け暮れ、家族を顧みない日々でした。
神様が『目を覚ませ!』と、病気にしてくれたのでしょうね。
手術の日程が決まり、一時帰宅が許されました。
今年成人した長男がまだ7つ、長女は3つです。
私の久しぶりの帰宅を無邪気に喜んでいます。
私は、その時になってようやく、自分の病気の重さを自覚しました。
「まだ死ねない、生かして下さい!」と願ったものです。
手術は予定通り、午後から行われました。
病室で麻酔の注射を受けました。
同室の仲間と家族の見送りを受け、横たわったまま手術室に入りました。
壁と床の白いタイルが目に飛び込んできました。
『手術中に地震があったら、俺はどうなるんだろう・・・』と、ぼんやりしていると、マスクを口に被せられました。
「ゆっくり深呼吸して下さい。」
看護師が優しく指示します。
手術室の壁の白いタイルがぼやけてきました。
「はい、ゆーっくり。いち、にい、さ・・・」
【More・・・】
気がつくと、周りは真っ暗です。漆黒の闇とはこのことでしょうか。
深い、深い黒にすっぽりと囲まれています。
そこは、光も音も全くない世界でした。
でも、なぜか恐怖はありません。
自分がどこにいるのかも判然としません。
感覚がないのです。
すると、とおーーくのほうに白い点が表れました。
周りが揺れ出しました。
だんだん激しく揺れます。
白い点はどんどんと大きくなり、揺れながらこちらに近づいてきます。
ますます大きくなり、あっと言う間に白い世界に飲み込まれました。
「うえまつさん、うえまつさん。起きて下さい!」
看護師が私の体を揺さぶり、ほほを叩いていました。
「良かったですね!手術は成功ですよ!」
彼女が微笑みかけます。
『ああ・・・終わったんだ・・・』と、頷く間もなく、激しい寒気が襲ってきました。
「寒い、寒い」
全身のふるえが止まりません。
看護師は心得たように、電気毛布で暖めてくれました。
寒気が納まる頃には、強烈な痛みが全身を貫きます。
「痛い、痛い」
と、訴えると、注射を打ってくれました。
すぐに意識が遠のき、また深い眠りに入りました。
目が覚めると、寒気が少し楽になったとは言え、痛みは相変わらずです。
すぐに、妻と長女が面会にきました。
妻は私に微笑みかけ、長男は学校があるので、実家に預けていると伝えくれました。
長女は、鼻に管を通された私の姿におびえているようでした。
手術が6時間半におよび、術後に眠ったので、もう12時近いと知りました。
こうして、私の1月17日は終わりました。
膨れあがった送胆管が膵臓に付着していたのを、少しずつていねいに剥離したので、手術の時間がかかったそうです。
膵臓を切ると2ヶ月以上も、入院が伸びると後で聞きました。
配慮をしてくれた病院には感謝に絶えません。
ICUでは約1週間を過ごしました。
普通病棟に移ってから、神戸大震災の被害状況をようやく知りました。
たくさんのひとが亡くなっていました。
入院中は同室のひとが、亡くなるのを何度か経験しました。
それも、昨日まで元気だったのに、容態が急変して、ほどなく亡くなったかたもいました。
ひとのさだめとか、無常観とか・・・
それまで病気とは無縁の私には、初めての経験でした。
手術から、1ヶ月ほどで退院出来ました。
発病から2ヶ月足らずです。
病気の重さを考えると、私は本当に幸せな男だと思います。
退院後は、辛い現実が待っていました。
でも、なんとかなるものですね。
今年も元気に、1月17日を迎えることが出来ました。
お世話になっているひと、支えてくれるかた、これまでに関わってくれた皆さんに、感謝を申し上げます。
「ありがとうございます。」
長文、最後まで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

大変だったのですね
もう大丈夫なのですか?
私も全身麻酔で手術を受けた事があるのですが
不思議な体験としか言いようがないです
あれはやった人しかわからないですよね
私の阪神大震災の日も大変でした
私が乗った列車が人をはねてしまって
2時間も止まったのです
その記事は新聞には載りませんでしたが(^_^;)
もう大丈夫なのですか?
私も全身麻酔で手術を受けた事があるのですが
不思議な体験としか言いようがないです
あれはやった人しかわからないですよね
私の阪神大震災の日も大変でした
私が乗った列車が人をはねてしまって
2時間も止まったのです
その記事は新聞には載りませんでしたが(^_^;)
コメントありがとうございます。
ベリーベリーさん
価値ある仕事を続けるためには、高いモチベーションの継続が必要ですね。そう意味でも、節目の日があることは助かっています。
あんこあめさん
全身麻酔はかなり危険な要素もあるみたいですね。でも、部分麻酔で手術を受けた人の話を聞いたら、かなり怖い。(^^ゞ
列車事故、どさくさまぎれになったのでしょうか?
ベリーベリーさん
価値ある仕事を続けるためには、高いモチベーションの継続が必要ですね。そう意味でも、節目の日があることは助かっています。
あんこあめさん
全身麻酔はかなり危険な要素もあるみたいですね。でも、部分麻酔で手術を受けた人の話を聞いたら、かなり怖い。(^^ゞ
列車事故、どさくさまぎれになったのでしょうか?
うえまつ |
2008.01.20(日) 14:51 | URL |
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